結婚式 口コミ

スピーチの順番が成功の鍵だったわたしたちの結婚披露宴

わたしたちは、「お見合いで結婚した教員夫婦」です。彼は「県立高校の数学担当の教諭」で、わたしは「市立小学校の四年生を受け持つ教諭」です。おたがい大学を卒業してすぐに「若くして先生と呼ばれる職に就いた」ので、「一般的な社会常識に欠けるところがある」のは、自覚していますが、まさか「結婚披露宴のスピーチの順番」で、「教員の社会常識のなさ」を露呈するとは夢にも思いませんでした。

新郎側の「来賓スピーチ」は「県の教育長」「勤務する高校の校長先生」、わたしの方は「父の幼馴染みの市議会議院の前議長(市会議員)」「勤務する小学校の校長先生」でした。わたしたち「教員の常識」では、「県の教育長が格上」と考え、「来賓スピーチの一番手」としてリストアップをしていました。ところが、「司会を担当する式場スタッフの女性」から「新婦側の前議長を来賓スピーチのトップにすれば良いのではないか」という「わたしにしては迷惑な助言」がありました。

なぜなら、「新郎側の来賓スピーチ」が先で、「高校教諭の人事権を掌握する教育長を無碍(むげ)に扱うことは出来ない」と考え、「司会を担当する女性の助言」を一蹴しました。当初の予定通り「教育長が一番手」として「司会の紹介」により「来賓スピーチ」を始めました。問題は、「二番手の前議長の来賓スピーチの時」に起こりました。

「父の幼馴染みという気安さ」もあったと思いますが、スピーチの冒頭に皮肉をこめて「県のお偉いさんの次にスピーチをさせていただくことは、大変光栄です」と言ったのです。会場のあちらこちらから失笑が漏れましたが、わたしたちは、すぐには理解できませんでした。後に「司会の女性」に聞いた話では、「当然新郎側の来賓スピーチが先ですが、場合によっては新婦側の来賓スピーチを優先するときもある」ということでした。結局は、「前議長のプライドが傷つけられたこと」を意味するのだと思います。「選挙によって選ばれた市会議員である前議長」と「特別職ではあるが、ただの公務員の教育長」の「格の上下」がわからなかった「自分の常識のなさ」を反省しました。

また、それよりも「一番の痛恨の極み」は「社会常識を有するプロである式場スタッフの女性司会者の適切な助言」を素直に受け入れられなかったことです。「教員としての無意味なプライド」が邪魔して、「ただの女性の意見」として卑下していたのかもしれません。この場をかりて謝罪いたします。

これが、「スピーチの順番が成功の鍵だったわたしたちの結婚披露宴」での出来事です。

結婚式前夜の彼との衝突が招いた厳しい現実

女性が一度は罹るという「マリッジブルー」の恐怖を経験したわたしの話を聞いてください。「生まれも育ちも東京の彼」と「地方の岡山出身のわたし」は、「東京のマンモス私立大学の同級生」でした。「演劇学科のふたり」が付き合い始めて五年が経った頃、「劇団員のふたり」に「結婚という避けることが出来ない問題」が表面化してきました。当時のわたしは、「彼と別れて、芽の出ない劇団員にも区切りをつけて、地元岡山で両親の薦める見合い結婚」をするつもりでした。ですが、「彼のわたしをかならず幸せにするという根拠の無い自信と熱意」に負けて、「ふたりでわたしの両親を説得し結婚を安易に決めた」次第です。

「結婚式・披露宴」は当然「東京で挙げる」ということになりました。日取りも場所も決まり招待状も発送を終えた頃、「わたしの心境」に変化が起こってきました。「慣れない都会での生活によるストレス」と「彼の楽観的な態度」が、わたしを苦しめていたのです。彼の裕福な実家で同居生活をするので、金銭面では不安はありませんが、「結婚はふたりの生活能力が試される契約というわたしの考え方」と「結婚してまでも実家に依存し続けるという彼の考え方」が乖離(かいり)し過ぎているのでした。

とうとう「わたしの感情」が爆発して、「結婚式前夜の彼との衝突」が勃発しました。「おたがいの考え方」を主張するだけで、「解決の糸口」も見えてこない状況に陥りました。そのような「危機的状況」を解決してくれたのが、「結婚式場のわたしたち担当の女性」でした。彼から連絡を受けた彼女が、深夜にもかかわらず、わたしの話を根気強く聞いて下さり、「一つの助言」を授けてくれました。

それは、「あなたは彼の家に嫁ぐわけですから、甘えられるだけ甘えればいいと思います。恵まれた環境で生活できることはあなたの気持ちを穏やかにします。ふたりの将来のことは、ゆっくり考えれば良いでしょう。」というものでした。すぐには納得できませんでしたが、「女性の人生を達観したようなしゃべり方」に気分が落ち着き、「彼の考え方」を理解しようとしなかった自分を改めようと思いました。その夜は、短い時間でしたが熟睡できて、気分良く結婚式の朝を迎えることが出来ました。

「結婚式・披露宴」も滞りなく進み、会場の隅でわたしを見つめている「彼女の笑顔」が「わたしの幸せな未来」を暗示しているようでした。

社内恋愛が結婚式を盛り上げたわたしの体験

わたしと彼は、教育関連会社(大手学習塾チェーンの本部)の同期入社で、わたしは「経理事務」、彼は「派遣講師の研修担当教務事務」をしていました。もともとわたしには「大学時代から付き合っている大手メーカー勤務の彼氏」がおり、彼のことは「同期入社の仲間」としてしか意識はありませんでした。ですが、ある日「コンピューターの経理システムダウンによる手作業」で残業した時、手伝ってくれた「彼の手際の良さ」に感心して、興味を持つようになりました。不思議なもので、社内で毎日顔を合わせていると、「彼の仕事に対する勤勉さと誠実な態度」に惹かれてしまい、わたしの方から「好意の告白」をしました。なお、「彼氏」とは、会う機会がなくなり自然消滅しました。

わたしたちの会社では、社員の平均年齢が若いせいか「社内恋愛による結婚の比率」が案外高く、付き合うことに障害はまったくなく、むしろ歓迎されているようでした。付き合い始めて二年が経った頃、おたがい「結婚」を意識し始め、「会社に報告」することにしました。「結婚式」については、二人で相談していましたが、時期も場所も仕事の関係で未定でした。

その様子を見かねた「専務」が「ある提案」をしてくださいました。それは、「毎年恒例の軽井沢での本部主催のサマーツアー」で「結婚式・披露宴」を挙げることでした。「サマーツアー」は、チェーンの各教室の小・中学生を対象にした旅行で、「本部社員全員参加」の大規模なものです。「社長の計らい」で、「両家の親族」も参加することになりました。

当日は、あいにくの天気ながら「軽井沢のチャペルで結婚式」を挙げ、「塾生が泊まるホテルの宴会場」で「ツアー参加者全員の出席」で「立食形式の結婚披露パーティー」が催されました。わたしたちも会社も「初めての経験」でしたが、大変盛り上がり、費用はすべて会社負担という「社内恋愛のメリット」を享受できました。なお、「サマーツアーを計画された旅行会社」「結婚式・披露パーティーを運営されたホテルの方々」には感謝しております。もちろん「費用を負担していただいた会社および社長」にはお世話になりました。

ちなみに、「結婚式・披露パーティー」終了後は、おたがい仕事で忙しく、「新婚旅行」には行けませんでした。これが、「社内恋愛が結婚式を盛り上げたわたしの体験」のすべてです。

わたしがこだわり抜いた彼とのファーストセレモニー

わたしたちは、同じ職場(大手結婚式場のセレモニースタッフ)で出会い、大恋愛の末結ばれた夫婦です。仕事の関係で、おたがい「結婚式・披露宴」についてはプロなので強いこだわりがあり、「職場で挙げる自分たちの結婚式・披露宴の演出方法」について侃々諤々(かんかんがくがく)議論を重ねました。特にわたしは、「花嫁が主役」という意識が非常に強く、「彼の考え」をまったく理解しようとしなかった気がします。

「彼の考え」とは、「たしかに主役はわたしたち二人だけれど、プロとして招待客を喜ばせるような宴にしよう」ということでした。それに対しわたしは、「主役はわたしなのだから、ドレスのデザインとかお色直しの回数」しか頭になかった次第です。「披露宴の演出」には興味は湧かず、プロとしては失格だったと今更ながら少しは反省しています。

結局は、「演出」については彼と職場のスタッフの方々にすべてをまかせ、わたしは、「いかに自分が披露宴で際立つか」ということを最優先に考え、実行に移しました。ある女優が結婚式で着用した「打掛・ドレス」を多額の費用を掛けてレンタルし、「お色直しを五回」した有様です。友人や同僚は、「わたしのこだわり」にあきれていましたが、わたしは、大満足でした。

いくら「結婚式のプロ」であっても、自分の時ぐらいはそれを忘れて、こだわり抜くのが「一生に一度の結婚式だ」ということを大いに感じました。「わたしがこだわり抜いた彼とのファーストセレモニー」は、わたしの中では大成功でした。ちなみに彼は、「自分の職場からの追加の請求書」に頭をかかえていたそうです

ふたりの愛をたしかに紡いだファミリーウエディング

わたしと夫は、お互いが「母子家庭育ち(父親とは死別)」で、高校生のときにアルバイトをしていた「コンビニ」で出会い付き合い始めました。高校卒業後、夫は「自動車メーカー」、わたしは「地元の信用金庫」に就職し、忙しい仕事の傍ら(かたわら)「結婚へ向けてのたしかな愛」を育んでいきました。

お互い「母親に対する感謝の気持ち」が強いので、「お互いの母親が主役になるような演出ができる結婚披露宴」をふたりでいろいろ考えました。ですが良いアイデアが浮かばず、月日だけが過ぎていく有様でした。ある日相談のために訪れた「結婚式場のスタッフのちょっとした助言」がヒントになり、「すばらしい演出」を考え付くことができました。

その「演出」とは、「媒酌人を夫の伯父(父親の兄)とわたしの叔母(父親の妹)に依頼し、生い立ち・なれそめ紹介のときにお互いの母親の短い夫婦の歴史について話をしてもらうこと」でした。それは「夫婦の歴史は連綿と続いており、それをわたしたちが引き継いでいる」ということをお互いの母親に伝えるのが目的です。なお、お互いの死別した父親の写真が少なかったので、「式場のデザイナーに依頼してCG(コンピュターグラフィック)で、もし父親が存命ならばこのような顔だろうという画像を作成し、母親の画像と合成した上でスライド上映」しました。お互いの母親は喜んではいましたが、おそらく複雑な心境だったことでしょう。ですが、幸せは短ければ短いほど記憶には強く残るものだと思います。常滑の結婚式場といえば海陽館っていうぐらい本当によかったですよ!

結果として「式場スタッフの方々の協力」で「ふたりの愛をたしかに紡いだファミリーウエディング」ができたことを大変うれしく思います。

できないけど何度でも経験したい理想を超えたウエディング

わたしたちは、「40代のバツ1子連れの再婚夫婦」です。夫には大学生の娘と高校生の息子、わたしには中学生の娘二人で、夫の実家で同居することになったので、夫の両親も含め「三世代八人家族」として暮らすことになりました。再婚当初より、結婚式・披露宴は年齢と費用面がネックになり、考えておりませんでした。

おだやかで優しい夫と子供たちに囲まれ幸せな生活が三ヶ月ほど経った頃、わたしに大学生の娘より一つの提案がありました。それは、「結婚式を挙げていないのはかわいそうだから、わたしたち(四人の子供)で結婚式・結婚披露パーティーを開いてあげる」というものでした。結婚式は「娘の大学のチャペル」、結婚披露パーティーは「地域の公民館」で行なうということでした。費用は、「子供たちの貯金と夫の両親の援助」でまかなうということでした。

大学生の娘は、週二回二ヶ月間「結婚式場で運営スタッフとしてアルバイト」をしたらしく、わたしたち夫婦に内緒で、準備をてきぱきと整えていたそうです。披露パーティーの司会を担当する高校生の息子も、わたしたち夫婦の生い立ちやなれそめを両親や親戚に聞くなどして、当日に備えていたそうです。わたしの中学生の娘二人は、「料理担当」です。長い間母子家庭で育ったので、わたしより「料理の手際」がよく、メニューもすべて一から考えたそうです。

結婚式当日は、娘のアルバイト先の「式場スタッフの方々」も駆けつけていただき、「手作りとは思えないほど完成された宴」を経験することができました。息子の司会も堂々としたもので、わたしと夫しか知らないだろうと思ったことも織り交ぜ、会場を盛り上げていました。そして娘二人の料理も、「レストランの仕出し」かと見間違う程の出来でした。ちなみに、わたしの幸せ太りが原因で、ドレスが少し苦しかったのが良い想い出です。

これが、わたしの「できないけど何度でも経験したい理想を超えたウエディング」の顛末(てんまつ)です。

両家の絆を強くしたわたしたち二人のウエディング戦略

わたしが勤める会社に途中入社してきたのが、彼(今の旦那さん)でした。彼は、地方出身で「父親は公務員・母親は専業主婦」という堅い家庭(?)育ちの真面目な人でした。わたしはというと、「母子家庭で母親が商売人(酒販店と小料理屋の経営)」という「大阪では一般的な家庭(?)」で育ち、「典型的な大阪で生まれた女」でした。

違った環境で育った二人が結婚を真剣に考え始めたとき、彼の父親の「母子家庭で育った娘は父親との触れ合いが少ないせいか、母親の様に離婚する比率が高いので、結婚は認められない」という話を彼から聞き、大変ショックを受けたのを今でも苦々しく想い出します。「彼の父親の話」というよりは、「父親の意見に素直に従う彼の態度」に腹が立ったのです。

結局は、「彼の叔父(彼の母親の弟で大阪市内で商売をしている)とわたしたちの会社の副社長(上場企業の社長経験者)のとりなし」で無事結婚に至ることができました。しかし、「彼の父親の不用意な発言」以降、「両家のしこり」は残ったままでした。

そこで、わたしたち二人で綿密な相談をして、結婚式までに「両家のしこり」を取り除くべく「良い方法」を思い付きました。それは、「結婚式前日に、式場近くの温泉旅館に両家の関係者を一緒に宿泊させ、酒食を交え忌憚(きたん)無く話をしてもらうこと」でした。なんとか「言葉の行き違いによる誤解もとけ、盛り上がった」と言うことを後から母親から聞き、彼ともどもほっとしました。

結婚式当日も、両家の親戚一同笑顔で「わたしたちの宴」を充分楽しんでいる様でした。式場のスタッフの方々にも「こんなにほのぼのとした披露宴は初めてです」と言われたときは、非常にうれしかったです。

これが、「しこりを絆に変えたわたしたち二人のウエディング戦略」です。

不幸自慢のわたしが幸せを噛みしめたハッピーウエディング

「わたしの人生における不幸」を数えれば、両手では足りないくらいです。「両親の離婚」「受験・就職の失敗」に始まり「失恋・派遣切り」を繰り返した「不幸の連鎖を抱えたわたしの半生」は「幸せの序章」を迎えることすらないように思えました。いつしか「不幸の神様に愛されている」と考えるようになり、「三十路の崖」を飛び降りてしまいました。

厄年(33歳)を迎えた頃、彼(今の夫)に出会い「不幸の神様の一休み」を実感しました。なぜか彼も厄年(42歳)で、「お互い怖いもの無し」「厄X厄=福」という「彼の考えに共感」し、付き合いを深めるうちに結婚を意識し始めました。彼の実家は「由緒ある神社」で、「厄年のお祓い」を兼ねて訪ねたとき、彼の両親に紹介され、「不幸自慢のわたし」がなぜか両親に気に入られてしまいました。そして、「お互いの厄が明けた年」に「結婚式」を挙げる運びになりました。

「結婚式」は、普通ならば「彼の実家の神社で挙げるべき」なのでしょうが、「わたしの両親が離婚している上に同居している母親が病弱」なので、わたしの実家の近くの「総合結婚式場で結婚式・披露宴」をとりおこなう事にしました。彼の両親にも快く賛成していただけたので、式の準備も滞りなく進みました。なお、「式場のスタッフの皆様」においては「わたしの母親の送迎」までしていただき、大変感謝しております。

式当日は、「彼の父親(神主さんで地元の名士)の計らい」で「幼少の頃別れてから長らく音信普通のわたしの父親を招待」していただき、「幸せに満ち溢れたすばらしい結婚式」になりました。「今までの不幸の数々はこの幸せのためにあったのだ」と思えるほど感激したことを今も想い出します。これが、「不幸自慢のわたしが幸せを噛みしめたハッピーウエディング」の概要です。

招待客をほっこりさせた手作りウエディングスタイルメニュー

わたしたち(30代夫婦)は、ともに自営業なので仕事が忙しく、「結婚式(神前式)」は身内のみで挙げましたが、「披露宴」は半年後に「ホテルの宴会場」で「手作り披露宴」を催しました。「半年後」になってしまったのは、「仕事の都合」もありましたが、「わたしたちの手作りへのこだわり」が強かったように思えます。

たしかに「既製の披露宴」はプロのスタッフが作り上げたものなので「すばらしく豪華なものだ」と考えますが、「一生に一度のこと」なので「スタッフの方々の協力」を仰ぎながら、「手作り感満載の披露パーティー」を行なうことにしました。その時の「手作りウエディングスタイルメニュー」を恥ずかしながら披露させていただきます。

1.できるだけ「形式」を省くことで、「招待客の緊張感」を取り除きました。具体的には、「司会と仲人」は「わたしたち夫婦」が受け持ちました。「生い立ち」「なれそめ」を本人が説明するので、「わかりやすく確かなこと」まちがいないです。また、「スピーチ・余興」は「司会者であるわたしたち」が「招待客を指名」し、「おもしろく意外性のある話や特技」を引き出しました。

2.「食事」は、ホテルにお願いして、「機内食を模して、招待客が和食と洋食を選択できる」ようにしました。「事前のリサーチ」が功を奏して「極端な偏り」はなかったです。また、配膳が一回で済みましたので「スタッフの労力と時間」を軽減できました。費用は余分に掛かりましたが。

3.「引き出物」は、「カタログギフトの申込みハガキのみ(カタログは後日郵送)」なので、かさ張らず喜ばれました。

4.「お色直し」等で「わたしたちが不在の時」の「宴の演出」は「ホテルのスタッフの方々」にすべておまかせしました。できれば、「お色直しの実況中継(新郎のみ)」をすれば良かったと後悔しております。

上記の4点が主なメニューですが、披露宴が成功したかどうかは判断しかねますが、招待客がほっこりしたことはたしかです。

わたしの本気を彼に再認識させたスペシャルウエディング

彼とわたしは共に「27歳」、名古屋近郊の高校の同級生。4年前の同窓会をきっかけに付き合い始めました。しかし、彼は「東京の商社の営業マン」、わたしは「地元名古屋の大手書店の販売員」として働いているので、必然的に「遠距離恋愛」でした。「結婚を真剣に考えた」のは、付き合い始めて「3年目のクリスマス」で、わたしが彼に会うために「東京へ行った時」でした。その時、「結婚式についての思い」をお互いにぶつけ合いました。

「東京での結婚式・披露宴、名古屋での結婚披露パーティー」を考えている彼に対して、わたしは「地元名古屋での結婚式・披露宴」しか考えられませんでした。彼としては、「わたしを説得するのは容易い(たやすい)ことだ」と思っているように見えました。なぜなら、「結婚すれば、生活の基盤が東京になること」と「仲人さんが彼の会社の上司であること」が理由だからです。「強い地元愛」を持つわたしは、納得できませんでしたが、「彼の立場」も理解できるので、「本心」を隠して「彼の考え」に従うことにしました。彼は、「わたしの本気の地元愛」に薄々気付いていましたが、「自分の考え」に従うことに満足したようです。

そこで、わたしは「ある計画」を考え付きました。それは、彼は仕事で忙しいので、「式場さがしはわたしに一任されていたこと」を利用して「東京の大手結婚式場の系列の名古屋の式場を予約すること」にしたことです。もちろん彼には内緒ですが、「お互いの両親・仲人さんである彼の上司への根回し」には充分気を使い、「披露宴の招待状も二通り作った」ほどです。「結婚式の日取りを変えずに場所だけ変えるためのアイデア」には苦労しましたが、「彼の上司の計らい」により、「結婚式二日前に彼を名古屋に出張させること」で解決しました。その時「わたしの本気」を彼に伝え、なんとか納得してもらいました。

「結婚式・披露宴の当日」は、「お互いの地元」ということで「高校時代の友人」が盛り上げてくれたので、「楽しく和気あいあいとした披露宴」になりました。もちろん「彼の会社の同僚も招待していた」ので、彼は驚いていました。また、「結婚披露パーティーを開く手間が省けた」ので、「費用面」でも助かりました。なお、「東京の式場スタッフ」には、いろいろ助言をいただき感謝しています。

これが、「わたしの本気を彼に再認識させたスペシャルウエディング」の全容です。